昨年の11月の撮影写真で、今更感もありますが、、、 名古屋城訪問時の記録です。
KKRホテルの朝食会場から眺めた名古屋城 この辺りでは高層建築が少ないので目立ちます
名古屋市能楽堂前には加藤清正の像が鎮座しています 天守台の石垣工事を請け負ったのは加藤清正でした。今で言う設計施工です。
徳川家康は名古屋城の築城にあたって、多くの豊臣家臣の外様大名二十家に工事分担(天下普請)させていますが、その中で最も重要な天守台を加藤清正が担当していたようです。 熊本城も加藤清正の作品です。
「恩賜元離宮名古屋城」の石碑 名古屋城は明治維新により天皇陛下に献上され陸軍省の管理下におかれたが、明治26年には宮内省の管理となり「名古屋離宮」となった。昭和5年に宮内省から名古屋市へ下賜されてから一般公開されるようになった歴史を物語っているのだとか。
正門 明治43年に旧江戸城の蓮池御門が移築されたが、太平洋戦争の戦災で消失し、再建されたもの。
天守閣の上部構造は鉄骨鉄筋コンクリート造での復元ですが、石垣は本物です
ガーゴイルっぽい石の樋口です。石垣のディテールが凄い。
鵜の首部分の石垣
石垣の修復工事中であることをお知らせしている看板
加藤清正公石曳きの像 巨石を運ぶにあたり、自ら石の上に乗って音頭を取ったと伝えられている
東南隅櫓(重要文化財) 築城当時のものらしいです
本丸 表二之門 クレーンが見えているのは本丸御殿復元工事用のもの
バリアフリー対策で設けられているエレベーター棟 取って付けた感Max!
天守閣最上階の展望フロア コンクリートのお城なので現代建築の展望室と同様ですが、窓はお城だけあってポツ窓です。しかし、オリジナルの(木造時代の)お城よりも展望のために窓開口は2倍の幅になっています。
お城の中の展示説明には、築城を命ぜられた大名のリストがありました。 そうそうたる豊臣家大名が記載されています。 20番が加藤清正=天守部分の担当となっています
敷地内では本丸御殿の復元工事中
木材加工場が見学できるようになっています。
完成部分の本丸御殿の外観
本丸御殿の内部